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宝篋印塔三基建立

宝篋印塔三基建立

室町幕府を開いた足利尊氏は、関東を治めるため次男の基氏を鎌倉公方として鎌倉に下向させた。
しかし、四代目持氏の頃には勢力をのばし、幕府と対抗するようになった。
そこで幕府は、鎌倉公方の 力を弱めようとして、持氏と対立している上杉氏(関東管領)を助け、永享十一年(1439)に持氏を 滅ぼした。これが世にいう永享の乱である。
結城(茨城市結城市)に逃れた持氏の三人の子春王・安王・ 永寿王は、翌年の結城合戦で捕らえられ、幼かった永寿王を除いて斬られた。この時、春王13歳・安王 11才である。 
三基の石塔は、この乱に敗れて自害した持氏とその子春王・安王の供養塔で、ひとり生き残った永寿王(足利成氏)が、父と兄のために建立したものと言われている。

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